官僚は7万円会食接待を断り100円ハンバーガーを食うべき
総務省幹部ら官僚が菅義偉首相の長男らから7万円の接待を受けていたことが問題になりましたが、「高いだけで大しておいしくない料理」には100円のハンバーガーほどの価値もありません。
「官僚が受けた7万円超の接待」は不合理な経済活動である
2021年(令和3年)2月下旬から3月にかけて、菅義偉首相(肩書はブログ記事執筆時。以下同)の長男を含む衛星放送関連会社・東北新社の社員が、総務省幹部らに対して1回1人あたり7万円を超える飲食の接待を行っていたことが問題となりました。
その後、武田良太総務相もNTT社長やJR東海会長と会食していた事実が発覚するなど、「放送・通信の許認可権を有する総務省の官僚・政治家が、利害関係がある放送・通信事業者と会食していた」ことが次々と明らかになっています。
- 7万円超の接待「山田内閣広報官から給与自主返納の申し出」 | 菅内閣 | NHKニュース 2021年2月24日 18時28分
- 自民 高市元総務相 NTT社長らとの会食「接待にはあたらない」 | NHKニュース 2021年3月15日 18時13分
- 武田総務相、NTT澤田社長やJR東海の葛西名誉会長との会食同席を認める「大臣規範に抵触しない」:東京新聞 TOKYO Web 2021年3月18日 10時16分
ところで普段から政府・与党を批判している私ですが、今回のテーマは「官僚・政治家と放送・通信事業者の癒着はいかに問題か」ではありません。
問題があるのは明らかですから(「問題ない」とお思いの方にかける言葉はありません)、このブログでは深くは取り上げません。
それよりも私が気になり、今回テーマにするのは、「官僚はなぜ、経済的には不合理である7万円超の会食で接待されたのか?」ということです。
「7万円の料理」は、本当に「7万円の価値」を有するのでしょうか?
おいしさと価格は(一定水準までは)比例する
まず、「おいしさと価格は比例するか」について考えます。つまり、「値段が高い料理は、それだけおいしいのだろうか?」ということです。
そもそも価格と異なり、味を数値化することは難しいのですが、ある程度は可能です。どうやって味を数値化するかというと……。
- 2つ以上の料理(同じ種類でも、異なる種類でも良い)を同じ人に食べてもらう
- その際、料理の価格、産地、料理人や生産者の名前は一切明かさない
- 食べ終えてから、「それぞれに点数を付けるならば、100点満点で何店ですか?」と質問する
- 同様の質問を、可能な限り多くの人々に行う
といった「ABテスト」に似た作業を行うことで、「味(おいしさ)の数値化」が可能です。
今回、実際には私はそのような作業を行っていませんが、おいしさの数値化を既に行ったと仮定して話を進めます。
こちらのグラフをご覧ください。
これは根拠がない架空の数値ですが、「2,500円位までは料理の味は価格に比例するが、価格が上がるにつれておいしさの上昇幅は緩やかになり、7,500円以降はいくら値段が高くなってもおいしさは変わらない」ことがわかります(飽くまでも架空の例ですから、実際の閾値とは異なります)。
なお、「料理のおいしさは一定水準まで価格に比例し、その後は横ばいになる」という同様の説は、私のみならず、グルメに詳しい複数人の方がブログで言及しています(ただし、「高級料理には、プロにしかわからない細かな味の違いが存在する」とも付言されています)。
では、なぜ人は「高いだけで大しておいしくない料理」を喜んで食べるのでしょうか?
それは、現実世界に存在する人間は、従来の経済学が想定し得ない不合理な経済主体であるからです。
行動経済学が明かす、不合理な経済主体としての人間
「行動経済学」という学問があります。
「従来の経済学は、『合理的な経済主体』(econs イーカンズ, 日本では「エコノ」または「イコン」と表記される)の存在を前提としている。だが、現実の人間(humans ヒューマンズ)は本当に合理的に経済活動を行っているのだろうか?」ということです。
ちょっとわかりにくい文章なので解説します。
たとえば、まったく同一の商品が、あなたの家から徒歩5分の店舗Aでは15,000円、電車で20分の店舗Bでは20,000円で売られているとします。
パッケージも中身も性能もまったく同じ商品なんですから、普通は「近くて安い店舗Aで15,000円払って買う」はずですよね?
ところが、そうはなりません。
「店舗Aは狭いし店員の態度が悪いし、ショッピングモールにある店舗Bのほうが広くて快適だし、クレジットカードのポイントも付くし、ステキな店員がいるから20,000円なのに買っちゃった」という例もあり得ます。
おそらく店舗Bでもらえるクレジットカードのポイントを引いても店舗Aの15,000円の服のほうが安いですし、店が狭くても商品の性能には影響しませんし(その場で消費する料理などは別として)、店員の人格や容姿は商品とはまったく無関係です。
もっと端的に述べれば、本当に人間が合理的経済主体であれば、スーパーマーケットの前にある自動販売機で飲み物を買うはずがないですね。
こういう、人間が明らかに不合理な経済活動を行ってしまうのはなぜか? を究明する学問が行動経済学です。
「高くて手に入れにくいものは、価値も高いはずだ」と錯覚する
ではなぜ、官僚に対して7万円超の会食接待を行うという明らかに不合理な経済活動が存在するのでしょうか? マクドナルドの100円くらいのハンバーガーじゃいけないんでしょうか?
ダメに決まってますよね。だってマクドナルドのハンバーガーなんて幼稚園児でも食べられるんですから。
「『社会的地位がある人間』であれば、一見さんお断りで、選ばれた人しか入れない会員制の高級店で会食すべき」という意識があるのではないでしょうか。
なぜですか?
それは、「簡単には手に入らないものは、それだけで価値が高くなるから」(希少性の原理)です。値段も高ければさらに価値が高まります。
これはレストラン以外にも当てはまり、たとえば「なかなか予約できない人気グループのライブチケット」や、「発売日に並ばなければ買えない最新のiPhone」などが代表例です。
YouTubeで無料配信されるライブや、ヤフオクに1万5千円で多数出品されているAndroidスマートフォンのGalaxy A7なんて、多くの人にとっては価値がないわけです(私にとっては価値がありますが)。
「希少性の原理」について、行動経済学の第一人者であるダン・アリエリー教授の著書「予想どおりに不合理」から引用します(以下同)。
そのころタヒチの黒真珠は販路がまったくなく、需要もほとんどなかったが、ブルイエは、いっしょに事業をはじめようとアセールを説得した。ふたりは手を組み、黒真珠を採って、世界中に売りさばくことになった。当初、アセールの売りこみはうまくいかなかった。当時の黒真珠は、色も形も鉄砲の弾のようで、アセールはひとつの注文も取れないままポリネシアにもどらなければならなかった。アセールはこのとき、黒真珠の商売を完全にやめてしまうか、価格をさげてディスカウント店で売ることもできた。あるいは、何粒かの白真珠とセットにして売りつける方法もあった。しかしそうはせずに、一年辛抱して、もっと品質の高い真珠ができるのを待った。そして、それを持って旧遊である伝説の宝石商、ハリー・ウィンストンを訪ねた。ウィンストンは、ニューヨークの五番街にある店舗のショーウィンドウに黒真珠を飾って、法外に高い値札をつけることを承知した。一方でアセールは、豪華なグラビア雑誌に全面広告を出した。タヒチ産の黒真珠のネックレスが、ダイヤモンドとルビーとエメラルドをあしらったブローチといっしょに、堂々と光り輝いている写真だ。
ほんの少し前まで、ポリネシアの海中でロープに連なったクロチョウガイがひっそり育てていた真珠が、あっというまに、ニューヨークでも指折りの裕福なセレブたちのすらりとした首にさげられて、マンハッタンを闊歩するようになった。アセールは、価値のはっきりしなかったものを、とんでもない高級品に変えてしまった。マーク・トウェインがかつてトム・ソーヤーについて書いたことばを借りれば、“トムは人間の行動の偉大なる法則を発明した。人に何かを欲しがらせるには、それが簡単には手にはいらないようにすればいい”。
アリエリー(2013), pp. 58-59
ちょっと長いので説明します。
まず、ブルイエという人物はフランス人実業家であり、1973年にポリネシアの珊瑚島を買い取って黒真珠の採取と販売を始めました。
しかしまったく売れず在庫の山が積み上がります。なぜなら黒真珠を欲しがる人はほとんどおらず、ゴミ同然だったからです。
ではブルイエは、そしてビジネスパートナーのアセールと宝石商ウィンストンはどうしたでしょうか? 「黒真珠は素晴らしいアクセサリーです。今なら安く手に入りますよ!」と宣伝しましたか? 違います。
- 広告によって『黒真珠はダイヤモンドなどと同等の高級品である』というイメージを作り
- 黒真珠に極端に高い値段を付けて一般人が買えなくすることで
- 「(高くて買えないから)黒真珠には希少性がある」と富裕層に思わせ、購入させることに成功した
……というわけです。
繰り返しますが、黒真珠は1973年まではゴミ同然だったんですよ? 「後に人々がその価値に気付いた」などということはあり得ません。
「黒真珠はお金持ちしか買えないから、価値が高いに違いない」という人々の心理が価値を作り出したのです。
7万円の会食接待だって、仮にまったく同じ料理がイオンのフードコートで2,000円で販売されていたら、まったく価値がなくなるはずです。
食器や店が立派だと、それだけでおいしく感じてしまう
ところで、今私はとても重要なことを書きました。同じ料理を食べるなら、場所はイオンのフードコートでも構わないはずです。
でも、現実にはそうはなりませんよね? なぜならイオンのフードコートは「いつでも誰でも行ける、平凡な場所」ですから、高級な料理を出されても平凡に感じてしまいます。
もうお気付きでしょうか。
実は人間は、「希少性(価格が高い、または在庫が少ないからなかなか買えない)」によって高い価値を感じるのみならず、「店の雰囲気が高級だと、そこで提供される商品まで高級であるように感じてしまう」のです。
再度、アリエリー教授の「予想どおりに不合理」からの引用です。
アリエリー氏らは、「パプリカやカルダモンなど、変わった香味料をコーヒーと一緒に学生食堂で無料で提供し、『コーヒーの感想、今後も食堂で出してほしいか、コーヒーにいくら払えるか』を質問する」という実験を行いました。
「変わった香味料」をコーヒーに入れる人はあまりいませんでした。たまに、香味料の容器を高級なものに変えてみたのですが、やはり変わった香味料の人気は高まりませんでした。
しかし、重要なのはここからです。
興味深いのは、変わった香味料をしゃれた容器に入れて出したときのコーヒー好きたちの回答だ。コーヒーをとても気に入った、けっこうな金額を払ってもいい、学生食堂でこの新しいブレンドコーヒーを売りはじめるべきだという意見がはるかに多くなっていた。つまり、コーヒーの雰囲気が高級そうだと、コーヒーの味も高級に感じるということだ。
アリエリー(2013), pp. 290-291
どういうことでしょうか? 「変わった香味料の容器をしゃれたものにしても、コーヒーに入れた人はほとんどいなかった」のではないでしょうか?
実は、コーヒーのそばに(香味料が入った)高級な容器があっただけで、コーヒーそのものまで高級に感じられるようになったのです。
もちろん、容器や食器のみならず、店全体のインテリアであるとか、「高級そうな場所」にあるだけでも、料理まで高級に(そして、おいしく)思えるでしょう。
では、官僚が7万円接待を受けた店はどうでしょうか。
銀座か赤坂か京都か知りませんが、そういった「特別な場所」に店があると、それだけで料理にも価値があるように感じてしまいます。
仮に店が庶民的な雰囲気の北千住にあったら、「場所に合わせてもっと安くしろよ」と苦情が殺到するでしょうね。
なお、本当はここで高級食器を用いた我が家の食卓を披露する予定でしたが、合理的経済人である私の家に高価な食器があるはずなどなかったので、写真は用意できませんでした。
満足度を2倍にするには、8.7倍の価格が必要である
高級な商品の価値が人間心理によって作り出されたに過ぎないにせよ、さすがにマクドナルドの100円のハンバーガーで満足できる人はほとんどいないでしょう(私は別として)。
700倍(7万円)の料理は高すぎるとしても、せめて2倍くらいは出したいですね。200円のハンバーガーのおいしさなら、100円のハンバーガーの2倍のおいしさに違いありません。
……と言いたいところですが、価格を2倍にしても、商品の満足度は2倍になりません。
では価格をどれくらいにすれば良いかというと、8.7倍です。100円のハンバーガーの2倍おいしいものを食べたければ、870円のハンバーガーを買うしかないというわけですね。
これは料理ではなく腕時計の例ですが、「プライスレス」という行動経済学の本から引用します。
一九五九年、日本人の心理物理学者印東太郎が、大学生一二七人に腕時計の写真と説明文を見せた。それぞれの時計についてどの程度好ましいかを評価させ、適正な価格が何円かを決めさせた。学生たちの考えでは、二倍好ましい腕時計を手に入れるには、八・七倍ほどのお金を払う必要があった。
パウンドストーン(2010), pp. 67-68
さらに、価格が上がれば上がるほど、商品の満足度は上がりにくくなります。10万円の料理も100万円の料理も(おいしさのみならず、食べる人の主観的な満足度も)大して変わらないのです。
私が先にグラフで示した、「一定水準に達すると、いくら価格が上がってもおいしさは変わらない」ということです。
これなら、最初からマクドナルドの100円のハンバーガーを食べていたほうがいいですね。870円のハンバーガーの約11.5%の価格で、50%のおいしさを味わえるわけですから。
社会的動物である人間の心理を経済学は説明できない
ここまで、いかに7万円の会食接待が無価値であり、いかにマクドナルドのハンバーガーが経済的合理性を満たしているかについて述べました。
ただ、「会食」って本当に料理を食べることだけが目的なんでしょうか? 違いますよね?
だって料理そのものが目的ならば、一人きりで店に行って食べたほうが味に集中できるはずですから。
それなのに複数人で店に行くのは、他者と交流することが目的だからです。
菅義偉首相の息子と総務省幹部という関係であれば、「価格も価値も高い料理を提供する、何年も厳しい修行を積んだシェフがいる、立派な門構えの店に招いて『おもてなし』(ひどい言葉だ)して差し上げねばならない!」という考えに至ることもあり得ます(どう考えてもマクドナルドのほうがいいのに)。
会食の目的ですか? 東北新社社長が国会で答弁したように、本当に「顔つなぎ」でしょう。皮肉ではなく本当に。
つまり、7万円の料理が適正価格であるか否かはまったく関係なく、さらには会食が利益になるか否かも副次的な目的に過ぎず、他者と感情を共有したいという欲求に基づいて会食が行われるのです。
よく「人間は社会的動物である」と言われます(アリストテレスの言葉……ではありません)。某国人のようなエコノミックアニマルではありません。
ではなぜ人間心理が会食を求めるかとと問われれば、「人間はそういう生態の動物だから」としか答えようがないのです。
従来の経済学も行動経済学も価格を主な対象にしているため、価格からかけ離れた人間心理は説明できません。
コロナ禍において明らかになった、「人間は他者と交流しなければ精神を病む」事実
おそらくほとんどの人にとっては「人と会食するのは、気持ちを盛り上げるためだ」ということは常識なのでしょうが、私はこの文章を書くまで気付きませんでした。
私にとって言語・会話は情報共有の手段に過ぎず、他者と会食して感情を共有したいという欲求がないためです(というより、他者との感情共有に強い苦痛を感じるので、なるべく家から出たくありません)。
「お前の頭がおかしいんだろ!」と言われそうですが……まあ、そうです。
というのも、自閉症に関する本を呼んでいて気付いたのですが、私の脳には「ミラーニューロン」というものが存在しない(または、極めて少ない)ようです。
「ミラーニューロン」とは、相手の動作を見ると、それが自分自身の動作であるかのように感じさせる脳の神経細胞です。
「自閉症は津軽弁を話さない」という、非常に面白い本から引用します。
ミラーニューロンとは、相手がある動作をしているのをみただけで、自分がその動作をしているときと同じように活動するニューロンです。相手の動作をみただけなのに自分も同じような体験をするという意味で、このようなニューロンが模倣・共感、そして「心の理論」と関連している可能性が示唆されています。
松本(2020), p. 146
より医学的な記述を書籍「自閉症スペクトラム入門」から引用します。
近年、一つの新しい神経生物学仮説として自閉症の「ミラーニューロン」仮説が現れた。この考え方は、定型発達者の脳ではヒトが実際に何かを実行しているとき(たとえば、コップに手を伸ばす)だけでなく、他者が同じ行動(たとえば、コップに手を伸ばす)をしいているのを観察しているときにも、活性化する脳領域がある、というものである。
ミラーニューロン仮説は、最初、動物の研究(サルを使った)から発見された。特別な神経細胞(あるいは神経細胞の集合)の電気的活動を測定するために、サルの脳に深く電極を埋め込んで実験を行っていた。その実験の最中、サル自身がある行動を実行しているときと、他の動物が同じ行動を実行しているのを見ているときの両方で、まったく同じ神経細胞が反応したのである。これがミラーニューロンの発見である。これらのミラーニューロンは、サルでは、前運動前野(ヒトではおおむね下前頭回にあたる)と頭頂葉腹側部にある。
バロン=コーエン(2011), pp. 125-126
簡単に言えば、「普通の人間には『共感力』があり、無意識のうちに他者の行動を真似することで社会関係を築く」ということです。
話し方を真似る、服装を真似る、「まともな社会人」にふさわしい立ち居振る舞いを真似て学ぶ……という具合です。
そして人間は社会的動物ですから、他者に共感する脳のはたらきを阻害されることは精神的に耐えられません。
2020年以降ですと「コロナ禍で家から出られず、友達に会えなくて辛い!」という方が多く、中には精神疾患を患う人までいるようですね。
一方で私は「え? ずっと家にいられるし、人に会わなくて良くなったのになぜ喜ばないの?」と不思議に思っていました。
しかし実際に(脳が)異常なのは私の方で、ほとんどの人間は、着飾って、他者に直接会い、会話や食事を通じて感情を共有しなければ苦痛を感じてしまうようですね。
ハンバーガー食べながら裸でZoom会議するだけじゃだめみたいです。
なお、ミラーニューロンが自閉症スペクトラム障害(ASD)の原因であるか否かには諸説あります。
また、国際高等研究所の山極壽一氏によるとヒトは、同じような部分の血流が増えて活性化している様が見て取れます。ミラーニューロンが働いています。これに対して、サルは一部だけしか活性化していない。イヌは全然働いていない
(p. 7)とのことです。
高等研選書27 ヒトの心と社会の由来を探る~霊長類学から見る共感と道徳の進化~
ですから……高級料亭や隠れ家的レストランで談笑することに快感を覚えるような方々の気持ちは、私には一生どころか何度生まれ変わっても理解できません。
7万円の会食接待は……もう異世界転生よりさらに遠い宇宙のレベルです。
でも! 少しでも経済的合理性を追求した(ある意味、動物的な)生活を送りたい方は、ぜひ全ての会食を中止してマクドナルドのハンバーガーを食べてください!!
もちろん官僚と政治家も利害関係者との会食は禁止!! というか会食自体全部禁止!! ……したら死にそうだな。
参考文献一覧
いずれもAmazonへのリンクです。
- ダン・アリエリー著, 熊谷淳子訳(2013)『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』(ハヤカワノンフィクション文庫)早川書房, ISBN 978-4-15-05-391-8
- ウィリアム・パウンドストーン著, 松浦俊輔・小野木明恵訳(2010)『プライスレス 必ず得する行動経済学の法則』青土社, ISBN 978-4-7917-6528-7
- 松本敏治(2020)『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』(角川ソフィア文庫)KADOKAWA, ISBN 978-4-04-400620-4
- サイモン・バロン=コーエン著, 水野薫・鳥居深雪・岡田智訳(2011)『自閉症スペクトラム入門 脳・心理から教育・治療までの最新知識』中央法規, ISBN 978-4-8058-3523-4