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映画「おおかみこどもの雨と雪」に見るマイノリティの苦悩

「母親が立派に子どもたちを育て上げる物語」として評価された2012年のアニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」ですが、よく考えると社会からマイノリティを排除する内容でした。

映画「おおかみこどもの雨と雪」のあらすじ

まず簡単に映画「おおかみこどもの雨と雪」のあらすじを箇条書きにします。

  • 大学生の「花」は、ニホンオオカミと人間の間に生まれた「彼(おおかみおとこ)」(本名不明)と恋に落ち、女の子「雪」と男の子「雨」と産みます。
  • 雪と雨も「ひと」と「おおかみ」のどちらにもなれる子でした(いわゆる人狼, werewolves)。
  • 父親のおおかみおとこは家族に食べさせる鳥を狩るために山に入り、事故死して下流に流されます。
  • 花はおおかみおとこの死体を発見しますが、ひとではなくおおかみの姿だったので、ゴミ収集車に回収されてしまいました。
  • 花は都会(東京)を離れ、おおかみおとこの故郷(富山県の村)に移住してシングルマザーとして子育てします。
  • 雪はおおかみらしく山を走り回り、臆病な雨は家で過ごすことが多かったです。
  • ところが、成長するにつれて雪はひとの女の子らしくなり、雨はひとの学校に馴染めず、おおかみとして山で過ごすことが多くなります。
  • 雨は「ひととしての自分」を受け入れられず、おおかみになって花たちと別れ、山で暮らします。
  • 一方の雪は、同級生の草平が「おおかみとしての自分」を怖がらずに受け入れてくれたおかげで、ひととして生きることに自信を持ちます。
  • 雪は私立中学校に進学し、一人になった花は山から響く雨の遠吠えを聞いて暮らすのでした。めでたしめでたし。

……って、めでたくねーよ!!

冷静に読んでみるとツッコミどころだらけなんですが、とりあえず重要な点を挙げていきます。

なお本筋とは関係ありませんが、成長した雪の声優は黒木華(くろき・はる)さんなんですね。気付きませんでした……。

花を「最悪の母親」にした、選択の誤り

映画「おおかみこどもの雨と雪」における重要な点は、言い換えれば「花が犯した、子育てにおける重要な誤り」です。

花は「おおかみとしての雪と雨」を拒絶し、社会から孤立させた

まず、最も重要な点は、花が「雪と雨はおおかみである」という事実を徹底的に隠そうとしたことです。

雪が移動図書館バスでおおかみになりそうになった時、母親の花は慌てて頭を押さえ、雪を隠そうとします。

家に帰った花は絵を見せながら「二人がおおかみになったらみんな驚くから、変身するのはやめようね」と諭します。

まあ、確かに人間が急に狼になったら驚くでしょうから(現実で喩えれば、ごく普通に服を着ている人が、急に町中で裸になるようなものです)、これ自体は間違っていませんが……。

「おおかみであること自体が悪いことである」という育て方をしてしまったため、雪と雨は「自分の中のおおかみ」を拒否せざるを得なくなりました。

しかし雪と雨はおおかみであることをやめられませんから、それを受け入れてくれない(と、花のせいで思い込まされている)人間社会から孤立してしまいます。

一応、花がおおかみおとこの故郷近くに移住した理由は「二人を自然の中で育てて、ひととおおかみのどちらの生き方も選べるように」という理由ですが……。

なぜ片方だけ選ばなければいけないんでしょうか。雪と雨にとっては、ひととおおかみの両方が自分自身であり、片方だけを選んでもう片方を否定することはできません。

雨に「ひととおおかみは共存できない」と誤解させてしまった花

次に重要な点は、「なぜ、雨は家族から離れて山でおおかみとして生きることを決めたのか」です。

「人間社会に受け入れられなかったから」ですか? 違います。だって基本的におおかみとして山で暮らしても、たまにひとになって花に会いに来ても良かったじゃないですか。

変な言い方ですが、「いつもおおかみとして過ごしているひきこもりの息子」でもいいですよね。そうしなかったのは何故です?

それは、「花が『おおかみであることを他人に知られてはいけない』と教えるとともに、『おおかみは怖くて気持ち悪い』という態度を示してしまった」からです。

雨が不登校になってしばらく経つと、「雪も山に来たらいいよ」と提案します。

しかし(仲良くなりたい同級生に気持ち悪がられたせいで)「自分はひとだ」と思おうとしている雪は、「学校来なさいよ」と言い返します。

そこから「自分たちはおおかみか、ひとか」で大喧嘩を始め、家中をメチャクチャに壊してしまいます。

おおかみの雨に反発した雪も、結局おおかみになっているのですから、「自分自身のどちらか片方を捨てることはできない」と証明していますね。

では、この現場に遭遇した母親の花はどうしたかと言うと……。

一応は喧嘩を止めようとして、喧嘩の後に家を片付けながら「雪と雨は自分の道を歩もうとしている」ことに気付きます(そもそも、片方だけ選択する「自分の道」という考え方が誤りなのですが)。

でも、喧嘩の直後は雨に声をかけるだけで、話すことはできなかったですよね?

そのせいで雨は「ただの人間である母親の花から見れば、自分は人間とは異なる異質な存在なんだ」と思い、それまでに交流していたキツネの「先生」の影響もあって、ひとであることを完全に諦めました。

実際、このあたりのシーンの雨はどんどん化け物じみていって怖いですよね……。

この時に花が泣きながら雨に抱き付いて「雨はおおかみなんだよね! わかってあげなくてごめんね!」とでも言えば、雨は「母さんも僕を理解してくれようとしているんだ」と思い直して、山と家を行き来する生活を送ったかもしれません。

実生活でも政治家の失言でもそうですが、本当にたった一つの発言がその後の展開を左右することって多いですよね。

とにかく、雨は花に理解されなかったこともあり、「おおかみとひとは共存できないんだ」と思い込みます。

「雨の思い込み」です。だって、現実には人間と交流するオオカミだって存在するじゃないですか? イエローストーン国立公園とか。

雨自身は「自分はおおかみだから」と思い込んでいたようですが、「自然と人間は共存できない」という事自体が雨の人間的思考による思い込みです。

これは何も「自然と人間のかかわり方は〜」などという大げさなテーマではなく、ただ単に「ひとだろうがおおかみだろうが、気にしないで親子一緒に暮らせばいいじゃん」ってことです。

大体、実在する動物のオオカミだって、子供が成獣になっても親から離れずに群れの子育てを手伝ったりします。

「自然と人間」も「命の輪」もないんだよ

さて、ここまでお読みになった方は「しかし、実際に自然と人間は別々の存在じゃないか。自然の中で生きることを選んだ雨を尊重すべきではないか?」とお思いになるかもしれません。

ですが、このような考え方は明確に誤っています。

なぜならば「『自然と人間』という概念は人間にしかなく、『自然と人間の対立、あるいは和解』も人間特有の倫理観に基づき創作されたテーマに過ぎない」からです。

たとえば、本物のオオカミが「自分達は自然の一部だ。鳥も、魚も、木々も仲間だ。だが、人間は自然の一部ではない」と考えますか? 違います。

オオカミが考えるのはせいぜい自分の群れくらいのことであって、「自然」などという概念はありません。他の生き物も大体同じです。

もちろん「自分の縄張りを人間が荒らすから、追い出そう」とは思うこともあるでしょうが、それは「自然」が基準ではありません。

縄張りを荒らすのが人間ではなく、「自然」に属するはずの別の群れのオオカミや、別の生き物が相手であっても変わりません。

ジブリ映画の「もののけ姫」「平成狸合戦ぽんぽこ」で描かれる自然と人間の対立は、フィクションとしては面白いですが、端的に言えば単なる縄張り争いです。

そもそも動物は「自然物(自然)」と「人工物(人間)」を区別しないので、たとえばビル街に来たら「四角い石がたくさんある場所だ」くらいにしか思わないでしょう。

あと、ディズニーの「ライオンキング」(手塚治虫の「ジャングル大帝」)で描かれる「命の輪」(Circle of Life)も単なるフィクションです。

そもそもライオンが他の動物の王である時点でおかしいですし、動物が「自分は他の動物や植物を殺し、命を受け継いでいるのだ」なんて考えるわけありません。

「そのへんにいる(ある)食べ物を食べているだけ」ですから。

「おおかみこどもの雨と雪」でも、雨が先生から「命の輪」のような考え方を教えられているかのような含みがありますが、現実の動物ではあり得ません。

また、「動物は生きるためだけに他の生き物を殺す」「性行為は生殖だけを目的とする」ということも誤解で、面白半分で生き物を殺すことや、同性愛の関係を築くこともあります。

作中の雨は、こういった「人間が勝手に描いた自然・動物のイメージ」に囚われて発狂したと言えます。

作品の最重要キャラクターは「おおかみの雪を受け入れた草平」である

このように花の問題点を概観したところで、では花は、そして雪と雨はどうすれば良かったのか? を考えます。

結論を述べると、正しい方法は友達に「実は自分はおおかみなんだ」と打ち明けて、それを受け入れてもらうことです。

実際に、雪は同級生の草平に正体を明かしても受け入れてもらえましたよね?

もちろん、中には「ひとがおおかみになるなんて気持ち悪い。化け物だ」と思う人もいるでしょうが、気味悪がるような人は友達ではありません。とっとと別れましょう。

つまり、雪にとっての草平のように、「おおかみとしての自分」を受け入れてくれる普通の人間が雨にも必要だったということです。

草平一人きりではなく、もっとたくさんの友達に「雪ちゃんはおおかみでちょっと変わってるけど、かっこいいよね」と思ってもらえればもっと良かったですね。もちろん雨も……。

それなのに花は、「おおかみであることを隠しなさい」という最悪の育て方をしてしまいました。

「人前で急におおかみになってはいけないけれど、お友達には『自分はおおかみなんだ』って教えてあげようね」というのが、花から二人にとってのベストな伝え方です。

おおかみおとこの死で「『ひとおおかみ』はどうやって生きれば良いか」を教えられなかった

父親であるおおかみおとこは、「何も知らない親戚に育てられた」にもかかわらず、ひととおおかみの両方の姿を使い分けられています(おおかみであることは家族以外には隠していますが)。

少なくともトラック運転手として生計を立てて、しかもたまに山で狩りをしていたのですから、雨も父親と同じ生き方を目指せば良かったと言えます。

もっとも、これは花の責任ではありません。花はごく普通の人間ですので、「ひとおおかみ(人狼)はどうやって生きれば良いか」など教えられません。

これは、父親が息子に射精について、母親が娘に生理について、第二次性徴期に教えるようなものです。

これを細田守監督が意識していたか否かは不明ですが、雪と雨の生き方が分かれるのも、第二次性徴期ですね。

親が適切な性教育を施さず、性的なことを親子で話せなければ、どうなるでしょうか。生理用品を買う必要がない男性に多いケースです。

子は「自分自身が、得体の知れない化け物になってしまった」と感じ、性行為をタブー視しつつそれを求めるという性的倒錯に陥ります。

雨も、花と雪に(1対2、かつ男女に別れている)おおかみであることをタブー視されたため、かえってそれを求めてしまったと推測できます。

おおかみおとこ自身が雪と雨に「お前たちはこうやって生きなさい」と教えなければなりませんでしたが、彼は死んでしまいました。

いやー、狩りなんかせずにスーパーで肉買ってれば良かったんですけどね! それだと映画になりませんが。

「おおかみ」を「LGBT」や「外国人」に置き換えて考える

ここまで「おおかみこどもの雨と雪」という架空の物語の中の、架空の人物である花の子育てについての問題点を指摘し、その解決策を示しました。

フィクションに何を熱くなっているんだ? とお思いかもしれませんが、これは現実に存在するマイノリティ(少数者)の人々に置換可能な問題です。

LGBT、外国人、障害者(障がい者)といったマイノリティに対する社会の理解は(表面的には)進んでいますが、家庭内、あるいは個人においては対応が難しいことです。

たとえば、同性愛は「両性愛と比較すると」少数派ですが、その人の個性であり、何ら恥じることはありません。

ただ、社会の偏見を恐れ、それを堂々と公表しようと思えない方もいるのではないでしょうか?

多民族国家であるアメリカ合衆国でも、黒人(アフリカ系アメリカ人)やヒスパニック、イスラム教徒などのマイノリティに対する偏見を解消しようとする試みは常に行われています。

大学入学等に関して、人種間の貧富の差によって成績を補正する積極的差別是正措置(アファーマティブ・アクション)も行われています。つまり、現在も差別が存在するから、対策せざるを得ないということです。

「単一民族の神話」が根強い日本では言うまでもありません。

また、身体的・知的等の障害をお持ちの方やそのご家族は、失礼ながらそれ以外の方々よりも生活上の不便が多く、社会の偏見もあるでしょう。

私がこの文章を書いている2021年2月上旬は、JOC会長が「女性が組織に入ると決定が遅くなる」といった趣旨の女性蔑視発言を行った時期です。

歴史的に身分制が存在するということは、それによって差別され、現在も苦しむ人々が存在することを意味します。

花が雪と雨にしたのは、「マイノリティであることは間違っているから、隠しなさい」と教えたようなものです。

もしも雪と雨が実在したら……。

では仮に、「おおかみこどもの雨と雪」が実在する家族の物語だとして、雨と雪が実在するマイノリティであると考えると、どうなるでしょうか。

もちろん「おおかみこどもの雨と雪」は完全なフィクションで、「おおかみこども」なんて実在しません。

ホラー映画で描かれる狼男、ファンタジーの人狼(werewolf)のような、「人間とオオカミのどちらにもなれる生き物」も実在しません。

でも「自分の体は人間だけど、心(魂)は動物だ」と悩んでいる人なら、実在することもあり得ます。

事実、「動物感覚」という書籍の著者、動物科学博士でコロラド州立大学准教授のテンプル・グランディン氏は、「自分の心は動物に近い」と述べています(この本、絶版になって中古価格が高騰しています。早く買っておけば良かった……)。

マイノリティである子を人間社会から隠し、否定した花

花は「人前でおおかみになってはいけません」と雪と雨に言い、二人は言いつけを守りました。

そのせいで、雪は草平という理解者に出会えましたが、雨はひととしての自分を否定せざるを得なくなりました。

もしも雪と雨が「おおかみ」ではなく、「体が人間で心が動物」だとしたらどうでしょうか。

心身どちらも人間である花は「心が動物だとわかるとみんな驚くから、知られてはいけないよ」と雪と雨に教えたことになります。

自分では「私は母親として、子の心が動物であることを理解している」と思っていたでしょうが、実際の行動は正反対です。

「そんなこと現実的にあり得ない。きっと頭がおかしいんだ」と考え、雪と雨が「普通の人間」になることを望みます。

さらに、同じく「体は人間で心は動物」のおおかみおとこが死んでしまったため、適切な(性)教育を施すこともできません。

草平は普通の人間でありながら雪を理解してくれましたが、雨はというと……学校でいじめられ、「人間社会から離脱」してしまいました。

花がもっと二人に理解があり、「仲が良くなったお友達には、心が動物であることを伝えなさい」と言って、雨が理解者を見付けていれば、こうはならなかったでしょう。

他者によるアウティングは許されない

マイノリティであることを必要以上に隠すと本人が苦しみますが、だからといって、他者が本人に無断でアウティング(暴露)することは許されません。

「おおかみこども」で喩えると、草平が雪に無断で「実は、雪はおおかみなんだ」と、友達に教えてしまうようなものです。

この場合、雪は「草平くんが私のことをみんなに教えてくれて嬉しい」と思うでしょうか?

いいえ、「友達だと思っていたのに、勝手に私の秘密を暴露した!」と怒り、ショックを受けます。

これはLGBT等でも同じことで、知人が本人に許可なく「ただの個性なんだから、隠さずにみんなに伝えていいんだろう」と理解を示したふりをすると、本人を深く傷付けることになります。

「どうせ知られるんだから、自分から言おうが知り合いが言おうが同じじゃないか」と思うかもしれませんが、自分自身で告白するか、他人に暴露されるかでは精神的にまったく異なることに留意が必要です。

実際に、「同性愛者であることをアウティングされた人が自殺する事件」も発生しています。

一橋大学アウティング事件 - Wikipedia

自ら明かす心の準備ができていないのに、勝手に他人に暴露されてしまうことのショックの大きさは計り知れません。

「体は人間、心は動物」というマイノリティ 人狼は実在するか?

最後に、前述の「雪と雨が実在したら」のような、「体は人間で、心は動物」という人は本当に存在するのでしょうか。

こういうのは何というのでしょうね。心と体の性別が異なるのは「性同一性障害」ですから……「種同一性障害」?

それはともかく結論を先に言うと、「人間の体に動物の魂が宿る」ことはありません。

だって魂自体がフィクションですので。

ただ、「体は間違いなく人間だが、脳の構造が動物に似ている」ために、「自分は動物だ」と信じる人は存在します。

もっとはっきりと言うと、「自分の心は動物だ」と信じる人間は「自閉症スペクトラム障害」(アスペルガー症候群)です。

怒らず冷静に読んでください。

繰り返しますが、前掲書「動物感覚」の著者、テンプル・グランティン氏は、「私はアスペルガー症候群であり、動物の心を理解できる」「動物と自閉症者の感受性は似ている」という趣旨の事を述べています。

そして、こちらの「動物感覚」のAmazonレビューです。

Amazon カスタマー

同じじゃなくても似た人の言葉

2014年10月25日に日本でレビュー済み

Amazonで購入

自分がずっと人間じゃないと思っていた

動物とは意思疎通ができるのに、対人間になると上手くいかない

人間の言葉が理解出来てないのじゃないかとも思っていた

でも、そうじゃなかった、と思えた

「私とまったく同じだ」と思いましたね?

ですからこの現象は、動物が人間に転生したのでも、病的な妄想でもなく、「人間の脳のエラー」に基づくものです。

見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ、他人の気持ちが分かってしまうのは、超常現象でも超能力でもなく脳の構造が動物に似ていることが原因です(ただし、これらが本当に精神疾患であることもあり得ます)。

そもそも魂自体が存在しないのだから、スピリチュアルな「アセンション」は永遠に起きず、あなたの体は死ぬまで人間のままです。

でも、あなたは「自分は体は人間だが、心は狼で、どちらも本当の自分なんだ」と思って、誇りを持って生きられれば、それでいいんじゃないですか?

こうやって文字の読み書きもできますし、機械も使えるんですから、わざわざ「動物に戻りたい」と思う必要はありません。

「自然が人間に復讐する」というストーリーも、人間自身の破滅願望が生み出したフィクションですので無視しましょう。

「森で獲物を獲って生きなければならない」「遠吠えなど、動物らしいことをしなければならない」とも思わなくていいでしょう、体は確実に人間なんですから。

肉はスーパーで買えばいいですし、大声出さなくてもいいでしょう。別に「自然」の中で過ごす必要もありません。

あなたは今だって狼なんですから、ありもしない「狼になる方法」を探すこともありません。

あなたにとっては、あなたの家が縄張りで、あなたの家族が群れの仲間なんですから……。

でも、残念ながら家と家族を好きになれないなら、自分の居場所を探したほうがいいかもしれません。

「自分は動物だ」とカムアウトすべきか?

では、LGBTなどほかのマイノリティと同様にカムアウト(告白)すべきでしょうか? 「私は体は人間ですが、心は動物です」って。

やめたほうがいいでしょう。確実に「スピリチュアルにハマっているヤバい人」扱いされます。

あとは、「ムツゴロウさんみたいな人だ」と思われてしまうか……(苦笑)。

精神科医や学者が相手なら、「何言ってるんだ、科学的にあり得ない」と鼻で笑われ、しかしうわべでは「誰でもそう思うことはありますよ」と言われます。

もっとひどい時は、家族や友人に化け物扱いされて、関係修復が不可能になるかもしれません。

私は先程「雪と雨は『自分はおおかみだ』と友達に明かすべきだった」と述べましたが、それは「人間がおおかみに変身できるフィクション」だからです。

あなたは、いくら狼になりたいと願っても、体はずっと人間のままです。

繰り返しますが、あなたは体は人間でも心は狼(または別の動物)なんですから、わざわざそれを他人に示そうとしなくてもいいんじゃないでしょうか。

アメリカ先住民の「トーテム」や、それに類する動物の形をしたアクセサリーも、別に付けなくていいと思います。これらもフィクションですから。

あなたはあなた自身のことを理解しているのですから、他の狼に知らせる必要はありません。

そもそも同じ狼同士であっても、別に群れの仲間でも何でもないわけですから、知らせる必要ないですよね。

人間だって、「同じ人間だ」というだけの理由で、遠い国に住む会ったこともない人間を仲間だとは思うことはないでしょう(博愛主義者なら別ですが)。

たまたま狼に会ってしまった場合は……ケースバイケースですが、基本的には言葉には出さず「なんとなく察する」だけに留めれば良いと思います。

たとえば、スーツを着たごく平凡なサラリーマンに「あなたも狼なんですね、私もです」と言われたとします。

あなたは「えっ、そうだけど……。今は普通に人間として生活しているのに、どうしよう」と、戸惑い、その人を気味悪く感じるはずです。

よって、言葉にするのは、先に気持ちで理解し合ってからにしたほうが良いと思います。

たとえば、恋人・配偶者やお子さんなど、心身ともに理解し合える相手に対してです。

特に子供の場合は、「自分は狼なのに、どうして人間なの?」と尋ねることがあるかもしれません(幼い頃のあなたと同じく)。

そんな時に慌てて「何をバカなこと言っているんだ、お前は人間だろう」と答えると、子供は自分自身のアイデンティティを見失います。

落ち着いて「これは科学的根拠がある現象なんだ」と教えなければ、あなたと同じように「自分は化け物か、さもなくば精神異常者だ」と苦しむことになるでしょうね。

二次性徴期の性教育と同じで、「気持ち悪い」と思って隠そうとするとかえって逆効果です。

もちろん、あなたのお子さんであっても、狼ではない(自閉症スペクトラムではない)普通の人間であることはあり得ますから、その場合は何もする必要がありません。

話は変わりますが……「KOKIA」という歌手の「大人のオオカミ」という歌は歌詞がストレートすぎます。Spotifyで聴けます。

KOKIAさんもそうなんでしょうか? ただ、彼女の場合は「スピリチュアル系自然崇拝」が入っている気もしますが。

なぜ、馬でも牛でもライオンでもなく狼ばかりなのか?

しかし、神話やフィクションに登場する「動物になれる人間」「人間を育てる動物」「人間と動物のハイブリッド生物」は、なぜかオオカミだらけですよね。なぜでしょう。

「かっこいい肉食動物だから」ですか? しかし「赤ずきん」などで悪者扱いされていますし、ライオンやトラのほうがかっこいい扱いの気がします。

にもかかわらず、人間と関係が深い動物はオオカミ(とイヌ)だらけです。

たとえばホラー映画の「狼男」、その元ネタである中世〜近代ヨーロッパの狼男、そこから発展したゲームの「汝は人狼なりや」……。ローマを建国したロムルスとレムス、「ジャングル・ブック」のモーグリ、日本の作品だと「狼少年ケン」も、オオカミに育てられています。

声優・宮野真守さんの単独初主演作アニメ「WOLF’S RAIN」も、「狼が人間に化けて生きている」という話でした(しかもこの作品は「狼が一度死に、人間に転生する」という結末なので、フィクションと現実の混同により誤解を生じさせることになりました。このアニメは完全にフィクションです)。

「狼男」(人狼)という概念はかなり古いようで、旧約聖書の「ダニエル書」には「ネブカドネザル2世が『自分は狼だ』と思って7年間苦しみ続ける」記述があるようです。

このあたりの情報は、Wikipediaに非常に詳しく載っています。

狼男 - Wikipedia

確かに、頭が牛で体が人間のミノタウロス、馬の体に人間の上半身がくっついたケンタウロスなど、神話・物語には人狼以外の獣人(動物人間)も登場します。それでも圧倒的に狼が多いですね。

実はこの現象の根拠も書籍「動物感覚」に記されています。ただ、原訳書が私の手元にないので書評サイト「読書メーター」からの孫引きになります。

先に要約すると、原因は「人間がイヌを飼い慣らしてオオカミにしたと同時に、オオカミも人間を群れで生きる動物に変化させた」からです。

どういうことかというと、「人間は元はバラバラに行動し、一箇所に定住しない生き物だった。しかし、オオカミを家畜化しイヌにする過程で、オオカミから『群れで行動し、縄張りで暮らす』という性質を学んだ」ということです。

また、その年代と地域には諸説ありますが、「4万年から2万年前の東アジア」ではないかと言われています。

イヌの起源 | 進化生物学者がイヌと暮らして学んだこと | せかいしそう

「読書メーター」のレビューからも引用します。

むっちょむ

分厚い本でちと論文ちっくで読み終わるのにすごく時間が掛かったけど、苦労した甲斐があった、ためになる本だった。テンプルさんの誠実さがびんびん伝わってくる。テンプルさんはわからない事はわからないとはっきり言うところがすごく好きだ。でも、わかろうとする努力がまたすさまじい。犬は人間の庇護のもの、長年進化してきたと思い込んでいたけど、実は人間の方が犬のおかげで進化できた等々、違う視点をもつ大切さを教えてくれる本。

★6

コメント(0)2013/05/05

つぶあん派

動物が好きな人に読んでほしい一冊。自閉症の人にたいする考えも、この本を読んで変わった。自閉症の人と動物は共通点が多いというのが作者の考えだ。自分には想像もつかない視点を見せられて、夢中になって読んだ。人間は犬(オオカミ)から学び人間になった、という話が面白かった。品種改良で起きる問題については、いままで全く知らなかったのでショックだ。動物達の知らない一面を少しだけ見れて、目を向けるべきところも知ることができた。これからもっと分かることがあると思うとワクワクする。

★7

コメント(0)2012/07/03

『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』|感想・レビュー - 読書メーター

つまり、「人間の脳がオオカミの性質を取り入れているから、自閉症スペクトラムの人間の脳はオオカミっぽくなってしまう」ということです(このへんは私の憶測で、ちょっと根拠が怪しいですが……)。

ところで、狼の次に多いのは狐のようですが……その理由は本当にわかりません。共通点は同じイヌ科の動物というだけです。

狐のことは私にはわかりませんので、どなたか理由をご存じでしたら書いてください。

「狼としての自分」を否定され、発狂または死亡した雨

話がだいぶ横道に逸れましたが、「おおかみこどもの雨と雪」では、雪が草平という理解者を得る一方で、雨は誰にも理解されず山へ行ってしまいました。

これを現実に置き換えれば、雨は旧約聖書の王のように「自分は狼だ」と主張するものの、単なる精神疾患か悪霊のしわざとして処理されることになります。

そして「人間の自分、狼の自分」というアイデンティティの片方を否定された結果、人間社会に留まれなくなり、発狂・または死亡することとなります。ヘヴィだ。

いやー、インターネットがなかった時代は大変でしたね。

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